ウォルト・ディズニー。「夢」に生きた生涯

ウォルト・ディズニーは1901年12月5日、イリノイ州シカゴに生まれました。
幼い頃から絵を描くのが好きな少年で、
高校卒業後は漫画家を目指しますが、あるきっかけでアニメーターを志すようになります。
1920年に最初のオリジナルアニメーション動画を創作したウォルトはその後、
実写とアニメーションを合成させる新手法を完成させ、
1923年、新手法で制作した映像フィルムを手にハリウッドへ行き、
同年ディズニー・カンパニーを発足させました。

1927年には全編アニメーションの『しあわせウサギのオズワルド』を発表しますが、
映画配給業者とのトラブルによって、版権を失ってしまいます。
失意のウォルトでしたが、新たなオリジナルキャラクターのアイデアを練り続けました。
そんなとき、ウォルトの頭に以前飼っていたネズミの姿が浮かびました。
今や世界中で愛されているミッキーマウスの誕生です!
1928年11月18日、映像と音声が同調した(トーキー)世界初のアニメーション映画
『蒸気船ウィリー』でミッキーはスクリーンデビューを果たしました。
(その後オズワルドは、半世紀以上のときを経て、
2006年、ウォルト・ディズニー・カンパニーのもとに戻ってきました。)

どんな洗練された大人の中にも外に出たくてしょうがない小さな子供がいる。

アニメーションの先駆者

ウォルトのアニメーション技術への熱意は冷めることがありませんでした。
カラー映画の制作方式「テクニカラー(三色法)」を導入し、
1932年にフルカラーアニメーション映画『花と木』で初のアカデミー賞を受賞します。
1937年には、最初の長編カラーアニメーション映画『白雪姫』を
ロサンゼルス カーサイ・サークルシアターで初公開し、
大恐慌に苦しむ人々の心を、愛と夢で満たしました。
『白雪姫』は、いまなお映画産業界最大の偉業にして
不滅の作品のひとつに数えられています。

良い時も、悪い時も人生に対する熱意を失った時はない。

心ふるえる音楽

1940年、ウォルトは長編アニメーション映画『ピノキオ』と
『ファンタジア』を発表します。
無表情で、動作もぎこちないあやつり人形・ピノキオの周りには、
個性あふれる脇役たちが散りばめられ、
夢と希望にあふれたディズニー版『ピノキオ』が完成したのです。
その魅力的な脇役のひとり、
コオロギのジミニー・クリケットが歌った『星に願いを』は、
第13回アカデミー賞の歌曲賞に輝いています。

不可能なことは何もない。

魅力あふれるストーリー

1941年、ウォルトは長編アニメーション映画3本目となる
『ダンボ』を発表します。
耳の大きな小象が空を飛べるようになるという、
ディズニーの長編アニメーション映画の中でも
かわいらしい物語で人気を集めました。

空想に時代遅れなどない。

魅力あふれるストーリー2

第二次世界大戦を乗り越えて制作された長編アニメーション映画が、
1951年に公開された『ふしぎの国のアリス』です。
ウォルトが映画化の制作に取り組み始めたのは1933年、
完成までに20年近くもかかった作品でしたが、
アニメーションとして効果的なストーリーにアレンジされ、
娯楽性のあるディズニーらしいミュージカル式のおとぎ話として完成しました。

1953年には、2年前から制作に取り組んでいた
『ピーター・パン』が公開されました

好奇心はいつだって新しい道を教えてくれる。

時代を超えて受け継がれる夢

ウォルトが生みだした長編映画は全部で81本にものぼります。
ウォルトはテレビ番組の放映でも先駆者となり、
1961年にフルカラー番組をテレビで最初に放映した1人となりました。
そして、1955年には、魔法の王国「ディズニーランド」を建設しました。
晩年は芸術を教える専門学校の創立に力を尽くし、
1966年に65年の生涯をとじるまで、
夢とそれを実現する勇気と努力を失わない人生でした。

ウォルト・ディズニーは、20世紀の伝説であり、ヒーローです。
実際、20世紀のアメリカでウォルトほど多くの国民の心をとらえ、
多くの感動を与えた人物はほかにいません。
作品とキャラクターを通してウォルトの精神は今も受け継がれ、
喜びと幸せを地球上のすべての人々に、いまなお伝えつづけています。